中国・日本・欧米におけるお茶の歴史
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年代 | 中国 | 日本 | 欧米他 |
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紀元前 2700年頃 |
お茶の歴史が始まる。 | ||
紀元前 59年 |
お茶が嗜好品として 飲まれ始める。 |
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760年頃 | お茶のバイブル 『茶経』が記される。 |
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805年 | 日本にお茶来る! (平安初期) |
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1191年 | 茶筅で混ぜて飲む 「抹茶スタイル」が伝わる。 |
茶栽培の始まり。 (平安末期) |
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1336年頃~ | 貴族、武士に喫茶が広がる。 (南北朝・室町) |
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1368年頃~ |
釜炒り緑茶が普及。(明朝) 烏龍茶が誕生。(明朝) |
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1587年頃 | 千利休らの活躍。 (安土桃山) |
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1596年 | オランダに紹介された 「ヤパンの飲み物」。 |
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1610年 | ヨーロッパ初のお茶は 日本茶だった!? |
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1637年 | イギリスがお茶を輸入。 | ||
1654年 | 煎茶の誕生。 | ||
1684年 | オランダの植民地、 インドネシアに茶が 伝わる。 |
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1738年 | お茶の製法が進化。 現在とほぼ同じに。 |
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1785年 | 中国茶が初めて、 直接ニューヨークへ 出荷される。 |
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1788年 | イギリスの植民地、 インドに茶が伝わる。 |
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1810年頃 | 台湾にお茶が伝わる。 | ||
1823年 | アッサム茶樹が 発見される。 |
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1839年 | セイロンに茶が伝わる。 | ||
1840年頃 | イギリスでアフタヌーンティーの習慣が始まる。 | ||
1896年 | イギリスでティーバッグ紅茶が誕生。 | ||
1898年頃~ | 茶生産の機械化が進む。 (明治~大正) |
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1966~ 1976年 |
お茶を弾圧! 文化大革命。 |
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1981年 | 缶入りのお茶の誕生。 | ||
1990年 | ペットボトル入りの 緑茶の誕生。 |
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1997年 | ペットボトル入りの お茶が発売される。 |
お茶の歴史が始まる。
お茶の起源には諸説ありますが、紀元前、雲南省西南地域で初めて茶樹が発見されたという説が有力です。
雲南省はメコン河の上流、ミャンマー、ラオス、ベトナムと隣接する土地で、いまも茶の古樹が多く見られます。
歴史上、最初に茶が登場するのは、農業と漢方の祖・神農が、野草とお茶の葉を食べていたという逸話から。当時のお茶はいまのように飲むものではなく、葉を食べるもので、薬として用いられていたようです。
お茶が嗜好品として飲まれ始める。
嗜好品としてお茶が飲まれるようになったのは、漢の時代だと考えられています。喫茶の風習に関する最古の記録は、紀元前59年(前漢時代)に、四川の文人、王褒(おうほう)が著した『僮約』(とうやく/どうやく)です。召使が従事すべき毎日の仕事を列挙した中に、「武陽荼 (ぶよう た)を買う」(武陽に行き、茶を買ってくる)、「烹荼 (ほうた)、具を尽くす」(茶の道具を洗い、整える)と記されています。この記述から、使用人を雇う立場にあった人々が、日常的にお茶を飲んでいたと推測されます。
お茶のバイブル『茶経』が記される。
唐の時代(618~907年)、お茶を飲む習慣は中国全域で庶民の間にも広がります。当時のお茶は、団茶と呼ばれる固形茶を削り、ショウガなどとともに煮出すものでした。そんな中、760年頃に文人・陸羽(りくう)が、お茶の歴史、道具、産地、心得など幅広い内容を『茶経』(ちゃきょう)に記します。いわば世界最古の茶の専門書です。陸羽は、固形茶を挽いた粉茶を用いる、お茶の新しい飲み方を提唱。また、水や器も選び抜き、お茶を文化にまで高めました。
烏龍茶が誕生。(明朝)
青茶(せいちゃ/あおちゃ)に分類される烏龍茶。
青茶とは半発酵の製法で作られたお茶の総称です。烏龍茶は明代中期、福建省武夷山で誕生したと考えられています。竹かごで運んでいた茶葉が酸化し、偶然おいしいお茶になったのが始まりだとか(現在の烏龍茶の製造工程でも、茶葉を竹かごに入れて揺すり、発酵を促す作業が行われています)。清代には青茶の製法が確立され、やがて中国各地と台湾に伝わっていきます。明~清代の福建省では、花茶や工夫茶など、いろいろなお茶の楽しみ方が広がりました。それらは現在の中国茶の基礎となっています。
お茶を弾圧!
文化大革命。
中華人民共和国の建国(1949年)後、中国茶は順調に発展を続けていました。しかし、毛沢東による文化大革命で 、お茶は贅沢の象徴として弾圧され、栽培を制限されるようになります。共産党幹部や高級官僚用に、一部の高級茶だけが作られるという状況だったようです。その一方で、台湾や香港では茶芸と茶の栽培が発展。とくに「東方美人」などの台湾茶は世界的にも知られるようになりました。
ペットボトル入りのお茶が発売される。
いまは中国全土で手軽に買えるペットボトル入りのお茶ですが、初めて発売されたのは1997年。上海の食品メーカーと日本の飲料メーカーの合弁会社が烏龍茶を発売したのが始まりです。日本との違いは、砂糖入りの甘いお茶が多いこと。ほとんどの商品に加糖と無糖のタイプがあります。お茶に砂糖というと日本人には違和感があるかもしれませんが、中国におけるペットボトル入りのお茶は、自宅でいれる熱いお茶とは別のもの。ジュースのような感覚で飲まれているようです。
日本にお茶来る!(平安初期)
日本に初めてお茶を伝えたのは、最澄、空海、永忠らの遣唐使だと考えられています。『日本後記』には、815年に「嵯峨天皇に大僧都(だいそうず)永忠が近江の梵釈寺において茶を煎じて奉った」とあります。これが、わが国における日本茶の喫茶に関する最初の記述といわれています。この頃のお茶は非常に貴重で、僧侶や貴族など限られた人々だけが口にできるものでした。喫茶の習慣は、894年に遣唐使が廃止された以降も天皇、貴族、高僧の間に定着していきました。
茶栽培の始まり。(平安末期)
日本の臨済宗の開祖、栄西は著書『喫茶養生記』で、お茶の種類や抹茶の製法、薬効などを説きました。その後、華厳宗の僧である明恵上人 (みょうえしょうにん)が京都栂尾の高山寺に茶を植え、茶を奨励しました。ここが最古の茶園とされています。そこから、伊賀(三重県)の八島、伊勢(三重県)の河尾、 駿河(静岡県)の清見、武蔵(埼玉県)の河越など各地に茶栽培が広まっていったのです。
千利休らの活躍。(安土桃山)
茶の湯の初期の作法は、将軍足利義政の治世(1443~73年)に広まり、その後、15世紀から16世紀にかけて、村田珠光(むらたじゅこう)、武野紹鷗(たけのじょうおう)、千利休らによって完成されます。千利休は、1587年に豊臣秀吉が開催した北野大茶会の茶頭(さどう/ちゃどう)役を務めるなど、名声と権威を誇りました。その生涯を通じて、草庵茶室に象徴される、贅沢と無駄をそぎ落とした侘茶を完成させていったのです。また、織田有楽斎(うらくさい)ら多くの弟子を育て、茶道の発展に尽くしました。
煎茶の誕生。
急須でお茶をいれる文化が日本にもたらされたのは、江戸時代初期です。1654年、中国・福建省から渡来した隠元(いんげん)禅師が伝えた淹茶(だしちゃ/えんちゃ)法は、釜炒りした茶葉に熱湯を注いでしばらく待つという方法。手間をかけず、簡単にお茶を飲めるこの方法は急速に広まります。そして、茶の湯と禅宗の堕落に対する批判を背景に、自由な気風で煎茶を飲み清談を交わす「煎茶趣味」が江戸文人の間に流行しました。この頃の茶は、緑ではなく茶褐色でした。
お茶の製法が進化。
現在とほぼ同じに。
煎茶の製法が大きく進歩するのは、江戸時代中期のこと。宇治田原湯屋谷の茶業家・永谷宗円(ながたにそうえん)が、15 年もの歳月をかけて新しい製茶法を研究し、1738年、茶葉を蒸してもみ、乾かす「青製煎茶(宇治製法)」を確立します。完成した茶の販売を江戸の茶商・山本嘉兵衛に託したところ、味も香りもよい緑のお茶は江戸で大人気となりました。その後、1835年に山本嘉兵衛(六代目)が玉露茶を発明。こうした宇治製法の優れた技術は、日本各地に広まっていきます。
缶入りのお茶の誕生。
伊藤園が世界初の缶入り茶飲料(烏龍茶)を発売したのは1981年。続いて1985年には世界初の缶入り緑茶飲料「缶入り煎茶」を発売しました。酸化しやすく、味も香りも繊細な緑茶を飲料化するには、10年もの開発・研究期間を要したといいます。この缶入りのお茶の誕生で、日本人にとってのお茶は、いつでもどこでも飲みたいときに飲める、より身近な飲み物になったのです。その後、89年に商品名「缶入り煎茶」は「お~いお茶」に変更されました。
ペットボトル入りの緑茶の誕生。
1990年、伊藤園が世界初のペットボトル入りの緑茶飲料(1.5ℓ)を発売。見た目を損なうオリをなくすことがペットボトルでの製品化茶の課題でしたが、0.1ミクロンまで濾過する方法を開発し、緑茶の香りと味はそのままに沈殿物を濾過することに成功しました。この「ナチュラル・クリアー製法」は、1996年に伊藤園が特許を取得しています。1996年には500mlの小型ペットボトルも発売開始。2000年にはホット用ペットボトルも発売されました。
オランダに紹介された「ヤパンの飲み物」。
お茶がヨーロッパに伝わる以前、1596年に、オランダの探検家リンスホーテンが『東方案内記』(第二六章「ヤパン島について」)で日本のお茶を以下のように紹介しています。
「かれらは食後にある飲み物を飲用する。これは小さな壺(ポット)に入った熱湯で、それを夏でも冬でも耐えられるだけ熱くして飲むのである。……このチャと称する薬草の、ある種の粉で調味した熱湯、これは非常に尊ばれ、財力があり地位のあるものはみな、この茶をある秘密の場所にしまっておいて、主人みずからこれを調整し友人や客を大いに手厚くもてなそうというときは、まずこの熱湯を喫することをすすめるほど珍重されている。かれらはまた、その湯を煮立てたり、その薬草を貯えるのに用いる壺を、その飲むための土製の碗とともに、われわれがダイヤモンドやルビーを尊ぶように、たいそう珍重する」。日本のお茶文化が、神秘的で不思議なものに見えていたことが伝わってきます。
ヨーロッパ初のお茶は日本茶だった!?
17世紀初頭からヨーロッパにお茶が輸入され始めますが、イギリスよりも早く、最初にヨーロッパでお茶を輸入した国はオランダでした。一説によると、オランダが平戸(長崎県)に商館を設置した翌年、1610年に日本茶を輸入し、それがヨーロッパに最初に渡ったお茶だといわれています。また、1607年にオランダ商船がマカオで中国茶を乗せ、1610年にヨーロッパへと転送。これがヨーロッパに初めて渡ったお茶だという説もあります。
イギリスがお茶を輸入。
初めてイギリスにお茶が渡ったのは1637年。イギリス東インド会社の商船が広州から約50キロの茶を運んだ(『茶業通史』)、ウエイト船長が中国からイギリスに茶を伝えた(『飲茶漫話』)、といった記録が残っています。お茶が一般に市販されるのは、さらに20年後。1657年にロンドンのタバコ商でコーヒーハウス店主のトーマス・ギャラウェイが中国茶を輸入し、店で飲ませたのが最初だと言われています。
アッサム茶樹が発見される。
1823年、イギリスの冒険家ブルース兄弟が、インドのアッサム地方で自生の茶樹を発見。のちにそれが中国種とは別種の茶樹であることが確認されました。また、緑茶と紅茶の違いは製法の違いであり、原料は同じ茶樹であることが、1845年にイギリスの植物学者フォーチュンによって発見されました。これらの発見によって、中国種と新しいアッサム種との交配が進み、インド各地やスリランカ、バングラデシュでお茶の栽培が盛んになるのです。